Let go

私がこの四月から入学したのは、都内の私立高校だった。
下に中学はなく、上に大学もないのに競争率が高かったのは有名大学への高い進学率の為で、
名門で街の誉れという事になっている。

故郷を遠く離れて大都会の高校に進学したのは、中学時代の違和感を引きずりたくなかったからで、
私自身は家族と離れて暮らす事など望んでもいなかった。

高い月謝の私立に進んでしまったからではないが、
遠距離通学者は多分に漏れず寮に入る事になっている。
男女共学の高校の女子寮で六畳一間に二人一組での生活。
眩暈がするほど嬉しい環境だが、文句が言える身分ではない。

私は、自分でも要領のいい人間だと思っている。
いや、冷めていると言った方がいいかも知れない。学校の勉強で苦労した事はなかったし、
友達にも不自由しなかった。お陰で優等生ぞろいといわれる高校でも上位で合格できたし、
初日から好奇心旺盛な娘達とも知り合いになれた。

もっとも、先方は随分身構えていたが。いや、一人だけ気安いのがいたかな?

「辻さんって寮生なんだってね」

好奇心に瞳を輝かせた、その例外の同級生が尋ねてくる。
私が所属しているA組は学年上位成績者しか入らない。
今から二年後の次の入試に向かって用意を怠らない勤勉な人たちが集まっている。
彼女はそんな中で特異な人間だった。
もっとも、私も青筋立てて勉学に勤しむような生徒ではないのだが。

「そうだな。近所に住んでいるから朝はゆっくり出られる」

私は虚心でそう言った。それは本音だ。
中学の時はやたら広い学区の端から自転車通学しなければならなかった。

「それは羨ましいな。私なんて六時起きよ。
都内って言ってもさ、端から端に移動するようなものだから。
うちの親は都内だから通えばいいって、きかなくてね。まったく、冗談じゃないわよ。
…そう言えば辻さん、下の名前はどう読むの?」

彼女は手にしたプリントを眺めながら言う。
名簿には私の名前は『辻 明理』とある。少し読みづらいかもしれない。

「それは『あかり』って読む」

父がつけてくれた名前だ。理(ことわり)に明るい、賢い子になるようにとつけたそうだ。
私はその意味よりも字面が気に入っている。もちろんつけてくれた父の気持ちにも感謝している。
私は父を愛しているのだ。

「私は…大丈夫よね。ほら、これが私の名前」

手にしたプリントを広げて彼女が指差した場所には『山岸由加子』とあった。

「山岸さんね」

「そう。よろしくね。…ところでさ、辻さん。寮生だから聞いてない?『茅ヶ崎繭子』の噂」

その名前を聞いて私はすぐにある人物を思い浮かべたが、しかしこの場はばっくれる事にした。
こういう切り口はろくな噂でないに違いない。