L'enfant

物心付いた時から、僕はこの空気の中にいた。

空。青い空。雲一つ無い空。
吸い込まれるぐらいに青くて、じっと見詰めるのが怖くて仕方なかった。
海。空と同じぐらい青い海。
もしかしたら空よりも潮の匂いの分だけ青いかもしれない海。
遥か彼方まで何もなくて、海風になぶられるのが嫌だった。

街。白い家。太陽と同じぐらい眩しい町並み。人の気配のするところ。
でも港町には生々しい潮の匂いが充満していた。

物心付いた時から、僕はこの街にいた。この街の星辰神殿の前に捨てられていた。

イクサルという名のこの街は潟の中にある。
先人達が苦労して造り上げた人工の島々を結んで一つの街になっている。
海以外に何もないこの街で、男達は豊かになる為に海へ出て行った。
巨大な海は人間の想像を絶する世界で、毎年十隻程の船が帰らない。
それに世の中には様々な危険があった。戦争、疫病、天災、飢饉。
孤児や乞食、不具者などさほど珍しくない。普通はそういった連中は街の外に追い出してしまう。
ただでさえ密集した都市に、そういった社会からのはみ出た者たちは邪魔なだけだった。
いわんや、人の手で造られた限られた土地で生活するしかないイクサルでは、
孤独な貧困者は容赦なく街から追い出されるのが常だった。

ただ孤児だけは違った。『創世球』という実態のよく解らない球を拝んでいる星辰神殿が、
孤児を『世界の子』と呼んで育てているからだ。星辰神殿に捨てられていた僕も、
そんな風に神殿の神官たちに育てられた。クセルクセスという大層な名前が、
赤ん坊の僕を包んでいたむつきに縫い付けられていた。

クセルクセス・アンタイオス。それが僕の名前という事になった。
アンタイオスというのは昔あったファウスト帝国の名族の一つなのだそうだ。
けれども身寄りのない僕には意味のない事だった。立派な名前に反して、
僕は気弱で力の弱いいじめられっ子だった。街の子供達には親なしと罵られ、
孤児仲間からは名前が生意気だと責められた。僕はなす術もなく泣いてばかりだった。

そんな僕を助けてくれる人がいた。
小柄な、褐色の疾風のように彼は現れて、僕をいたぶる者たちをのしていった。
だが彼は、僕を助けながらも容赦がなかった。黙ってやられている僕を罵って、
それから僕の手を引いてどんどん走り始めた。足の速い彼にもたつきながらも追いついた時、
街の白い壁はとぎれ、視界の全てに空と海の青い世界が現れた。
青い、青い、抜けるような空と海。それ以外に何もない世界。僕は怖くてたまらなかった。
この世の終わりのような光景のくせに、妙に生臭い潮風に満ちたイクサルの外の世界が嫌いだった。

「何怖がってんだ、バカ。ここには空と海しかないぜ」

褐色の彼は僕を罵りながら、それでも嬉しそうに言った。