人々の路

リジュはファウスト南部の交易都市だ。古くから都ウロポロスの外港として栄えてきた。
特に第三王朝の頃には皇帝家の始祖がリジュ・ウロポロス公の地位を占めていた為に、
皇帝家所縁の都市として特別視されていた。

だが時代が下ってファウスト帝国が滅亡し、帝国、いや北大陸(ノーサ)の首都として機能していた
ウロポロスがランス鉄騎兵に蹂躙された今となっては、往時の繁栄は見る影もない。
更にリジュは二十年ほど前の戦争で同じ都市国家イクサルに敗北し半ば征服されたような形だ。
加えて交易都市としてのリジュの地位を確かなものにしていたラルゴ川を軸とする
北大陸(ノーサ)縦断交易路が、幾多の豪族達の割拠によりまったく振るわなくなってしまっていたから、
その寂れ具合はなおの事だった。

それは九一九年の事だった。年始の大祭であるサンタン・ルージュ明けの寒月(フレッド)のある日、
いつものように物好きにもイクサルから冬の内海(マラブ)を渡ってくる船があった。

イクサルの旗には二種類ある。数年前のクーデターでイクサル市を占拠し元首(ドージェ)となりおおせた
リチャード・ダービーの桔梗の花と、イクサル共和国の旗である栄光と叡智の象徴、金の鴉だ。

この時期やってくる船は金の鴉と決まっていた。
冬の危険な海に年二回の行政官の交替を律儀に派遣するのはイクサル商人しかいない。
走り出すまでは腰が重いが、しかし一端決めた事は必ず実行するのがイクサル人気質だった。
遠い北の、ラーダットあたりから流れてきた君主気取りの傭兵隊長とはまったく別の人種だ。
リジュの南に浮ぶアンジェリカ諸島の領有権を巡るリジュとイクサルの戦争は、
リジュの敗北イクサルへの領地併合で決着していた。リジュ人も誇り高い人々だったが、
しかし東内海(マラブ)の交易の要であるアンジェリカ諸島を奪われてはリジュは立ち行きいかない。
商域を奪われて衰退と滅亡の憂き目にさらされるよりはと、
リジュはイクサルへ軍事と外交の権利を譲り、
イクサルの旗の下でリジュ商人も交易に携われる事を要求した。

イクサルにしてみれば関税を取られなくてもいい交易拠点が欲しかったばかりだから、
リジュの商人が同じ条件で活動する事に異存はなかった。
それどころか、リジュ本国までイクサルに併合できれば、
ファウスト平野を南北に縦断するラルゴ川水系の輸送路に参入できるのだから、
イクサル商人の活動の場を、水路を伝って一気にファウスト平野全域に広げる事ができる。
悪い話ではない。イクサルは半年任期の外交、
国防委員会をリジュにも設置する条件でリジュのイクサルへの併合を認めた。

だが、事はそんなにいい方にばかり進む訳でもなかった。
リジュがウロポロスの海の玄関であり、豊かなファウスト平野の入り口であった次代は
ファウスト帝国の滅亡と共に去っていた。
かつては海を越えてやってきた物資を帝国の隅々まで運んでいたラルゴ川水系の運河は、
帝国滅亡後に発生した幾多の都市共和国、豪族国家によって分断されており、
その道行きの安全すら保証できなかった。さらに人口百万を数えた千年の都ウロポロスは
百年戦争期の破壊で数万人規模の都市に衰退してしまっている。
そして都市や豪族たちは自分たちの利権を広げる為に血眼になって争い続けていた。