ルドネスの怪物

そこは殺風景な海岸線だった。冬の内海(マラブ)は荒れている。
誰も漁に出ない。二ヵ月後の春に備えるには、まだ早すぎた。
延々と続く砂浜を飾るものは、砂丘から顔を覗かせる流木と、
役割を終えて久しい破れ網がうつ伏せになっている船にかけられているばかりだ。

空は相変わらず不機嫌だった。
バウマンのセビリア海岸は北大陸(ノーサ)でも南方に位置する暖かい場所だが、
今日はどうもアンリ・ド・ネストーラの気分そのままになっていると、
ウルクは思わずにいられなかった。

ウルクは、ネストリアのタンプル星辰神殿が保護している事になっている
魔術師(メディスン)集団の副頭目だ。僅か五年前、
彼らの一族はアンリ・ド・ネストーラ配下の兵士たちに襲撃され、
安住の地を得た替わりに自由を失った。
その時の彼らの被害は一人の娘の貞操と一族の長の命だった。
長は彼の祖父だ。敵討ちを狙ったウルクだったが、
アンリ・ド・ネストーラはあっさりとウルクの肩の骨を外した。完敗だった。
たった十二歳の子供に十七の自分が負けたのだ。
信じがたい事だったが、しかし未だにアンリの下から脱していないという事は、
それが事実であった事の証明だ。

あれ以来、ウルクは腕を磨いた。魔術師(メディスン)として使い魔を操る技はもちろんの事、
武術と名のつくものは一通り習い、あの頃よりも武器の扱いになれた。
人を殺した事こそなかったが、しかし自分の能力に自惚れて努力を怠っていたあの頃とは違う。
その成果が現在の地位だ。副頭目は複数いて彼はその中でも末席に位置するのだが、
しかし仲間を指揮するだけの能力があると認められた結果なのだ。
使い魔も、矮獣(マスクヴァ)一匹を操作する事ならば誰にも引けをとるとは思わない。

だが、それでも、ウルクはアンリを殺す事ができなかった。
一つには恐ろしかったのだ。この五歳年下の二級神官が。

アンリはネストリア王に仕える有能な官僚だ。
エルネストT世の寵愛深く、そして有力な後ろ盾を持たない故に使い勝手のよさを買われて、
様々な仕事に関わっている。王都アマルフィの行政に関わったかと思えば、
貿易商人や船長達の会合に顔を出し意見交換を親しくする。
そうかと思えば傭兵隊長であるシャルル・ガスコンスたちとも打ち合わせをするし、
そして王宮の財務官たちと国税について議論する。外交問題とて無関係ではない。
アルペルム山岳民たちとの小競り合いを収拾する為に情報を集め、
その為に彼らの背後にいるランス王国やアウストラシア王国の大使たちとも折衝する。
まさに八面六臂の働きだ。

だが、それでいて一分のすきも見せない。少しでも殺意を向ければ彼は振り返る。
まるで背後に目があるかのように。そしてそのターコイス色の瞳が心の底まで覗き込むのだ。
お前の浅はかな考えなんてお見通しだと。

二つには、どんなに鍛えてもアンリにかなわないという気持ちだ。
アンリは出る杭だ。僅か十代にして王政の中枢にいるのである。妬み嫉みがない方がおかしい。
もちろんアンリは人当たりのいい男である。誰にでも、お日様の下以外では歩いた事はありません、
という無邪気な微笑みを見せる。それでもやはり完全に悪意から自由ではいられない。
ウルクのように、アンリという存在自体を恐れ憎む者がいるのだ。