EATER

ドン・フェヴァレットという男がいる。
一昔前までマフィアのゴットファーザーとしてナース・ファリーの闇に君臨していた。
妻は早くに亡くなっている。子供は息子が二人いた。だが治安局、
あるいはマフィア同士の抗争によって息子たちはフェヴァレットよりも早く天に召されてしまった。
残された老フェヴァレットは足を洗った。

住まいは十六階建てのアパートメントの五階一フロアを全て借り切り、
身の回りの世話をしてくれるかつての部下たちと、
そして自分同様に老いぼれた老犬を同居人としていた。
郊外には葡萄園を持ち、そこで作られる葡萄酒を売って生活費に当てていた。
財産はそれだけでなく、金塊にしたもの、株券に化けているもの、様々あった。暮らすに不自由はない。

だが連れ添いも子供もいなければ、何の楽しみに金を使うのか。
女を抱くには老いぼれてしまっているし、マネーゲームの緊張感にも耐えられない。
スポーツをやるにも体が言う事をきかない。
それではと、フェヴァレットはある楽団の後援者として名を連ねる事にした。
音楽はいい。体を横たえ旋律に身を任せ、あるいは安らぎを、
あるいは若き日のたぎりを感動を思い出させてくれる。

しかし気難しいフェヴァレットは楽団の後援者になる事に条件をつけた。
週に一回、フェヴァレットが気に入った奏者を彼のアパートメントに寄越して演奏、
あるいはお喋りの相手をする事だった。
フェヴァレットのお眼鏡に適う演奏者というのもなかなかいないが、
老人の相手を我慢できる者もそうはいない。
ヴァイオリン、ピアノ、フルート、クラリネット、オーボエ…何人の音楽家たちが追い返されただろうか。
だが、フェヴァレットがいよいよ絶望し、楽団への援助を打ち切ると言い出す手前になって、
ようやく彼を満足させる事のできる演奏者が現れた。

ファーユ・レ・ロマージュ

桜色に見える髪と灰紫の瞳がたおやかなセロ弾きの少女。彼女の深いセロの音が老人の心を打った。
それはセピア色で、懐かしくもほろ苦く、そして時には爽快さを感じさせた。
老人は一杯の紅茶のような味わいの演奏だったと褒める。しかし少女は微笑むだけ。
少女は生まれつき口がきけなかったのだ。だがそれは老人にとっては問題ではなかったようだ。
少女は手帳に自分の言葉を記し意思を伝える。なかなか奥ゆかしい態度。
そして少女は熱心に老人の愚痴とも繰り言ともつかない話を聞いた。
若い女性に話相手になって貰えるなど、もう老人には想像もしなかった事だ。

たちまちファーユはフェヴァレットの大のお気に入りとなり、週に一度老人のアパートを訪ね、
セロを弾き話相手になるという習慣ができてしまった。
それはファーユにしても悪くない事だった。ファーユが口がきけないと知ると、
人は皆、気の毒そうに顔をしかめ、そそくさと行ってしまう。彼女にはちゃんと聞こえる。
ただ喋れないだけなのに。人々は『がんばってね』とか『応援しているから』とは言うが、
彼女を一人前の人間扱いにはしてくれない。喋れないという事が、
それだけ特別な事だと言っているようだ。フェヴァレットは気難しい老人だが、
ちゃんとファーユを当たり前に扱ってくれた。老人の世話をしている人たちも、
皆怖い顔だったが老人を楽しませていると解ると、
態度も言葉遣いも丁寧で気配りの行き届いたものになった。
彼らにとっては老人は今もゴットファーザーなのだ。