金魚 |
目の前の少年は、この暗がりの部屋の中で器用にも写真をカードのようにシャッフルしていた。 写真に付着した薬品が、窓の外のネオンサインに反射されて光っている。 そのきらめきが少々酷薄で、私の胸はキリキリと刺された。 「仕事なんだろう?早く用件を済ませてくれないか」 私はシガレットケースから一本の紙巻きを取り出した。ポケットにはライターがある。 炎が起こると油の燃える嫌な匂いがした。私は油が燃える匂いが嫌いだった。 どことなく生き物が燃えるのが想像される。だが黄燐燐寸(マッチ)はもっと嫌いだった。 きな臭い硝煙の匂いがする。 私は一度、深く煙草を吸い込んだ。紙巻きには薬が混じっている。 治安局にばれたら鉄格子に閉じ込められるであろう種類の薬だ。 だが、酷く気がささくれだっている私の神経には、この薬は具合が良かった。 格好の気晴らしであり、精神安定剤であった。 そして先程まで目の前の少年に感じていた威圧もなくなった。 煙草一本で私は、気弱な人間から当たり前の気丈な人間になれるのだ。 現金なものだ。 気が大きくなった私は自嘲の笑みを浮かべた。 少年の白い顔は黒い帽子に隠れて見えない。そもそも少年は上から下まで黒い服に身を包んでいた。 僅かに見える白い顔と白いシャツだけが、闇の中に浮んでいるように見える。 少年の手が止まった。弄ばれていた写真が彼の手元に収まる。 そして彼はおもむろに一枚の写真を私に差し出した。 写真には遠い異国の服装をした若い女が写っていた。 女はアクセサリーか何かなのだろうか、棒のようなものをくわえている。 こちらを向いている瞳は挑発的で、思わず乱暴を働いてしまいたくなる。 胸元は軽く見えており、足も白く剥き出しになっているのが煽情的だ。 黒い髪に黒い瞳だが、白黒写真では女の本当の髪も瞳も解らない。 だが、どうもトランシルバニアに属する人間ではないようだ。 強いていえばイフリキアの人間に似ていなくもないが、 しかしイフリキア人ほど切れ長の目ではなかった。 少し丸みをおびた瞳が幼さを感じさせる。 「誰なんだ?」 私は自分が感じている好奇心を相手に悟らせないよう努力した。 だが相手は私が感じている事など全てお見通しだ、とでもいわんばかりの笑みを浮かべていた。 いや、私がただそう感じただけなのかも知れない。どうも薬の量が足らなかったようだ。 私は再び少年に対して気後れというか、恐怖心を覚えていた。 「サルディニアから来た『芸者』。杉奴っことかいうらしい。 異国情緒が売り物の、いわゆる娼婦ですよ。彼女はどうやらサルディニアのモール(スパイ)らしい。 あるいはモールリーダーか。水軍の新型戦艦の設計図が何者かに盗まれた痕跡がありましてね。 その線を追っていったら彼女が浮かび上がった。という訳です。 貴方には彼女に接近して事の真偽を探って欲しい」 少年は私の目の動きを見ながら喋っている。高等な『嘘』のつき方だ。 だが私は煙草を吸いながら、その嘘を信じる事にした。煙草の薬はあまり私を助けてくれなかった。 |