ハヴォルスキー卿の逆襲

麗らかな春の陽射しは暖かく、空気は甘く心地よい。
少しばかり霞みかかった空には、明るい太陽光も白く満ちて、
眼下に見える街の喧騒すら華やいだ春の気配に満ちているとしか思えない。

「春ですねぇ…」

背が高いから座高も高いアレクサンダーは、眼鏡の向こう側の瞳もまったりとした様子で、
気怠い春の一時をお茶で過ごしている。

「ほんと〜に、春ですね〜。ほかほかと暖かくて〜」

まったりと呟くアレクサンダーに答えたのは、金髪のほほん娘のクラウディアだった。
金髪と言ってもやさしいクリーム色なので冷たい雰囲気はなく、
その言葉の調子と同じく、まったりとした容姿のお嬢さんだ。
彼女はティーポツトを傾けてアレクサンダーに二杯目のお茶を注いでいる。
そして自分の分のティーカップを持ち、二人で窓の外を眺めている。

「平和ですねぇ…」

「ほんと〜ですわね〜」

が、次の瞬間アレクサンダーの後頭部に分厚い辞書がぶち当てられた。
アレクサンダー、思わず呑気な悲鳴を上げて椅子から転げ落ちる。

「何、呑気な現実逃避をしてんでぇい!俺たちの仕事が山積みだっちゅーの、
何時までも午後のお茶なんかしてるな!」

そんな殺気だった怒鳴り声を二人に向けたのは、
ちょいとばかり美形の部類に入らない事もない黒髪の少年だった。
怒りの気配で髪の毛や背中が逆立っているのは、目の錯覚?

「ラウルくん〜。酷いですよ〜、グローバル・トランシルバニアンなんか投げるなんて〜、
殺人行為ですよ〜。私に当たったら死んじゃいます〜」

グローバル・トランシルバニアンというのは年度ごとに新語や流行り言葉を掲載して出版される、
超大型のトランシルバニア連合王国七カ国全ての国語を網羅した辞典である。
馬鹿でかくて持ち運びに不便で、投げる奴はまずいない。確かに殺人行為かもしれない。
だがそう言ったクラウディアが、ぶつけられたアレクサンダーを気遣った様子はない。

「あんた、自分に当たらなきゃそれでいいの?」

明らかに不機嫌な声は書類やら本の向こう側から聞こえた。
山を越えてみれば、これまた美人がドロドロに疲れ切った表情で、
半ば沈没したままペンを握り書類を書こうと努力しているのが見える筈。
黒髪美人のジョセフィーンだったが、三日完徹の後なので、
目の下には熊が寝そべっているし、化粧っ気もまるでない。いや、熊は隈違いか。

不機嫌なのは、クラウディアがアレクサンダーの事を気遣わないので怒っているというよりも、
寝不足で苛立っているからという方が近いだろう。今の彼女は睡魔との戦いに敗北しかかっている。

「え〜、そんな酷い事は言いませんよ〜。心で思っても」

クラウデイア、気の抜けた喋り方の割りに結構ダークである。

「それは酷いなクレアさん。僕だって死んじゃいますよ、こんなの当たっていたら」

床に寝そべっていたアレクサンダーは、後頭部をさすりながら立ち上がる。
まともに当たっていると思うぞ。当たってたらって言うな。