ハヴォルスキー卿の息子の復讐

ゼーオーア通り二○一号。
古びた変わりばえのしないアパルトメントの三階で男と女がラヂヲを聞いていた。
騒がしいラヂヲからはレポーターらしい女性の悲鳴にも似た怒鳴り声と
何かの爆発音が吐き出されてくる。
部屋の中の二人は距離をおいて思い思いの格好でそれを聞いていた。

男の方はきっちりと背広を着込んでいた。
部屋の中はサルジニア風の東洋的な調度と雰囲気で統一されていたが、
土足で屋内に上がる風習のないサルジニアでは絶対にありえない長椅子に腰掛けていた。
しかし彼の風貌は純粋な東洋系だ。
オプティヌマ湖周辺の諸国に住む人間に比べれば黄色っぽい肌。
切れ長の黒い瞳。無表情な容貌は年齢不詳に見える。

男は白い手袋をはめた両手を組んで、
まるで冗談としか思えないラヂヲからのニュースを真面目な面持ちで聞いていた。
その神妙さこそが冗談に見えると女は思う。

女は完全に部屋着だった。いや厳密に言うならサルジニア人には部屋着という発想自体ない。
畳の上に敷いた床を片付ければ、そこは寝室ではなく居間や客間に変わるというのが
サルジニア人の風習だったから、床から上がれば、
もう寛いだ空間というものは存在しない事になっている。
無論、それは建て前だけの話だけれども。

部屋着姿というのはバルジニア人の発想からすれば、という但し書きがいる。
赤い襦袢姿で煙管(キセル)を吹かしているのだから、寛いだガウン姿に似ているともとれなくはない。
しかしサルジニア人の発想からすれば襦袢は下着だ。少なくとも下着の延長線上にあるものだ。
女の姿はサルジニア人の常識からすれば破廉恥極まりないものと見える。

無論、男と女の間柄が割りなきものであるならば他人がとやかく言う性質の問題ではない。
男女の理は本人同志が了解していれば良い事なのだから。
しかし無表情な男の方はともかく、
煙管(キセル)を吹かせる女の方にもそんな艶っぽい雰囲気はなかった。
どちらかというと、このサルジニア人の女は不機嫌であり、
当てつけのように男に向かって煙管(キセル)の煙を吐き出している。
男の方にはそんな女を気遣う様子はまるでなく、存在そのものを無視しているようだ。

仮にもこの部屋の主は私なんだけどねぇ。この、人を小馬鹿にした様子は一体どうだい。

女は男を睨みつけたまま、見せ付けるように目に痛い赤い襦袢姿で足を組んでいる。
裾からサルジニア人にしては白い足が覗く。
こちらの人間からすると瑞々しくきめ細かい肌であると手放しの賞賛を受ける色っぽい足である。

無礼な事に男はそれを無視した。その視線はラヂヲのスピーカーに釘付けだ。

けっ、この不感症の清潔魔人が。

女は心の中でついた悪態を露骨に顔一杯で表現していた。目の前の男は彼女の雇い主である。
だがしかし、気にいらない存在である事には変わりはない。
よりにもよってこの部屋に陣取ってラヂヲを聞くなんて、今日は厄日だわ。
声には出さなかったが女はそっぽを向いて白い顔に不機嫌と不愉快と怒りを混ぜていた。