新月〜碧眼〜下

テアテラからペルガモへ向かうには大河ナルセラを渡らなければならない。
この渡るのに一日がかりの、海のような大河がなければテアテラと
ペルガモは一つの国になっていたかも知れない。
もっともテアテラの中心部はナルセラ川が貫く平野に位置していたが、
ペルガモからみればこの辺りは辺境といって良い。
ペルガモという国自体が少々山がちな半島一つでなりたっており、
テアテラとナルセラ川を境に共有する平野は、その半島の付け根にあたる。

一行は今、そのナルセラ川を一日がかりで渡り終えたところだった。

だが一行の様子は難所を一つ喜びもなく、あまり明るいものではなかった。
事実上一行の先導であるドーンはコンスタンツを倒して以来、他の旅の仲間とは間を置いている。
嘲るように昔の恋人を殺した事が、今更のように心に重くのしかかっているとも取れるが、
しかし元魔王のドーンともあろう者が、そんな事で心を痛めているとは誰も信じていない。

いや、マウリアにはドーンの事を思いやる余裕など何もなかった。
後味の悪いドーンの態度を見せ付けられたが、
しかしテアテラや周辺国の人々の生き血をすすっていたコンスタンツとその一党は排除された。
本来ならば人々の不幸の元を取り除く事ができ、
そして彼女の宿願が一つかなったのだから喜びを感じてもいい筈なのに、
何だかマウリアの心は晴れなかった。

魔王が滅びればテアテラの人々に明るい未来が広がる。
そう儚く望んでいたのだが、それは虫のいい願望に過ぎなかった。

無道な女王コンスタンツに対抗する為に王位請求者を担ぎ出して同盟していた諸侯は、
その対象を失って自分たちの利欲を剥き出しにし始めたのだ。
最初の王位請求者の後ろ盾となっている諸侯は、彼こそがテアテラの新しい王だと称したが、
コンスタンツに抵抗する便宜上それに従っていた諸侯は後ろ盾となる諸侯への対抗心からか、
別の王位請求者を担ぎ出して対立する。そうなるともう秩序も何もあったものではなかった。

今思えば対コンスタンツで諸侯がまとまっていた時代の方が穏やかであったかもしれない。
コンスタンツの魔力や吸血鬼たちには勝つ事ができないと表立って動かなかった諸侯は、
敵対する者が同じ人間であるならば勝ち目はこちらにもあると、自分勝手にあちらへつき、
こちらへつき、あるいは様子見、あるいはこれを機会に以前の恨みを晴らすとばかりに
上を下への大騒ぎになってしまったのだ。

ナルセラ川を渡るまでの間、一体何回そういった小競り合いの現場に居合わせたかしれない。
最初はそうした争いを止めるべく武器を使ったマウリアだったが、
しかし最後には村人へ最低限の情報をもたらすだけになっていた。
きりがないのだ。助けを求める人々も、逃げ惑う人々も多すぎる。
とても全ての面倒を見るどころではない。

嘆かわしい事だったが、これが現実だった。
これならばコンスタンツを滅ぼさない方がよほど秩序が保たれていたではないか。
税の取り立ては厳しいが頻繁な戦火はなかったし、
生き血をすするとはいえコンスタンツは領民にはほとんど手を出さなかった。
領民から取り立てた税で奴隷を他国から買い求め、、それらの生き血を吸っていたのだから。
だが今は、毎日のようにいつも何処かで人々の血が流れている。